宮沢りえの壮絶な人生!父親と母親、そして結婚・離婚、娘について

1歳の頃にモデルとしてデビューし、1987年のCM『三井のリハウス』の初代リハウスガール“白鳥麗子”役を務めて注目を集め、トップアイドルの一人となった宮沢りえさん。

私生活では、貴乃花との婚約、そして婚約破棄、その後も数々男性との恋愛遍歴を重ね、さらに拒食症の噂、そして結婚・離婚など、様々な話題で芸能マスコミを騒がせてきました。

宮沢りえ プロフィール
本名  :宮沢りえ(みやざわ りえ)
生年月日:1973年4月6日
出身地 :東京都練馬区
血液型 :B型
身長  :168cm
所属  :エムツー企画

■ 宮沢りえ キネマ旬報サイト
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/

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宮沢りえ 父親や母親について

宮沢りえさん、父親はオランダ人、母親の光子さんはステージママとして、宮沢りえさんの活動のをサポートに徹した『りえママ』は、一時期話題になりました。

宮沢りえさんは、母親の光子さんが、六本木でクラブホステスをしていたとき、オランダ人と恋に落ち、妊娠、そしてりえさんが生まれたのこと。しかし、りえさんが生まれた後、母親の光子さんは、りえさんを日本に残して単身でオランダに渡ったため、幼少期は伯母の家で従兄弟と一緒に過ごしたそうです。

その後、宮沢りえさんが幼少期に両親は離婚します。そのため、宮沢りえさんは父親とは全く交流がなく、会話もしたことがなかったそうです。

それから、母1人娘1人で ”一卵性母子” とも言われ、宮沢りえさんと母親の光子さんは、二人三脚での芸能活動をしてきました。


しかし、その母親の光子さん、2014年9月23日に、肝腫瘍で亡くなります。

光子さんの死去に伴い、宮沢りえさんはFAXでコメントを発表しました。

「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います。」

宮沢りえ 結婚・離婚、そして娘について

宮沢りえ 結婚・離婚、娘の親権は?

宮沢りえさん、2009年4月にハワイ在住の40代前半の一般人の男性と結婚します。相手の方は、元プロサーファーで実業家、大手サングラスメーカーの責任者として米ハワイを拠点に活動しているとのこと。

2人が知り合ったのは2007年末。それから約1年間の交際期間を経て、宮沢りえさんは妊娠に至ります。そして、2009年5月20日には、女児を出産しています。

しかし結婚生活はわずか3年で幕を下ろすことに。多忙な両者のすれ違いが原因とみられています。

2012年5月ごろに別居報道がされた後、夫婦それぞれ弁護士を立て、離婚協議に入りました。理由は、小学生の長女の親権をどちらが持つか、とのこと。

一説では、娘の養育をしている宮沢りえさんは、慰謝料を支払ってでも離婚という形で区切りをつけたいと思っているものの、夫が娘の親権を断固として譲らない姿勢を見せているのだとか。


そして約4年にわたる離婚協議の後、2016年3月にようやく離婚が成立したことを発表しました。

ただし結果的にどちらが親権を持つことになってのか、明らかにされていません。

宮沢りえ 娘について

宮沢りえさん、娘さんの名前は“アロハちゃん”と言われています。正式な名前は不明で、非公開になっています。

宮沢りえさんは、娘さんの教育に熱心な様で、家庭教師をつけての英才教育をしていたとのこと。

娘さんの学校は、芸能人やセレブ御用達の成城幼稚園に通っていました。卒園後は、幼稚園から大学まで一貫校の成城学園初等学校に進学したものと見られています。

ちなみに、成城幼稚園入学式には、パールがあしらわれた上下で約140万円もする黒のシャネルスーツ着て、出席していると、批判されていました。

宮沢りえ 成城幼稚園入学式で娘を連れて

(出典:trend-catcher.blog.so-net.ne.jp)


年を重ね、その妖艶さが増し、映画やドラマに引っ張りだこの宮沢りえさん。
母として、女優としてこれからも頑張ってほしいですね。

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