松原のぶえ 現在や夫の借金とドロ沼離婚騒動、病気と腎臓移植について

中学3年生の時にオーデションで北島音楽事務所にスカウトされ、1979年に「おんなの出船」でデビューした松原のぶえさん。第21回日本レコード大賞・新人賞をはじめとする各種歌謡曲賞レースで新人賞を数多く受賞し、1989年には日本レコード大賞・美空ひばり賞の第1回受賞者になりました。

演歌歌手活動だけでなく、テレビ朝日系の番組「愛のエプロン」では、料理が下手なことを披露し、バラエティでも活躍されていました。

松原のぶえ プロフィール
本名  :廣原 伸恵(ひろはら のぶえ)
生年月日:1961年7月18日
出身地 :大分県中津市
血液型 :O型
身長  :160cmcm
所属  :のぶえオフィス

■ 松原のぶえ 公式サイト
http://www.nobue-matsubara.jp/

■ 松原のぶえ 主な楽曲
シングル: 「演歌みち」「なみだの桟橋」「男なら」「維新のおんな」「蛍」「朝顔」「霧幻海峡」「合掌街道(2014年10月1日)」「能登みれん(2015年10月7日)」
アルバム: 「演歌みち」「松原のぶえ全曲集」「松原のぶえ名曲選」

松原のぶえ 夫の多額借金問題とドロ沼離婚劇

松原のぶえさん、1992年に松原さんのマネージャーと結婚します。マネージャーである夫の名前は、廣原直樹(ひろはらなおき)さんといいます。

その後、松原のぶえさんは、2002年に北島音楽事務所から独立をし、有限会社のぶえオフィスを設立します。

夫は、新事務所の社長に就任するのですが、このころから夫婦の仲に亀裂が入ってしまうことになります。松原のぶえさんの名義で1000万円もの借金を作ってしまったり、税金の滞納を続けてしまったりして、金銭問題のトラブルを作ってしまいます。

そんな状況になっているときに加え、夫は「中国遼寧省・大連で新人歌手を発掘する」という名目で中国での長期滞在が行われて、雲隠れしている状態になってしまい、松原さん不信感はみるみると募っていったといいます。

夫に愛人ができ、その人と過ごすための口実だといった噂もでました。松原さんは、「旦那は自分を妻ではなくてタレントとしか見ていない。」、「知らないことが多すぎる」などといった発言もしていました。

そして、2003年には離婚が成立します。新事務所を作ってからわずか1年後のことでした。たった1年で多額の借金を作りまくっていたので、夫は松原さんのことを“金づる”としか考えていなかったのかもしれません。

ちなみに夫が作った多額の借金は、松原さんがしっかりと返済したということです。

また、2人の間には子供はできなかったようです。もし子供がいたら離婚できなかったかもしれませんね。

松原のぶえ 病気の腎不全、人工透析から腎臓移植へ

松原のぶえさん、もともと子供の頃から腎臓の機能に障害を抱えていたそうです。幼稚園の時に急性腎不全にかかってしまい、入院することになったそうです。

その後しばらくは腎臓の病気が表に出ることはなかったそうですが、2007年の46歳の時に風邪をこじらせたことにより肺水腫になり、そして再び腎不全になってしまい人工透析が必要な状態になってしまったそうです。

2008年の時点で人工透析は、週3日で1日4時間必要となり、コンサートなんかで地方を回るときにはその周辺で人工透析のできる病院を見つけ出して、そこで治療をうけるという過酷な状況だったそうです。

なにより松原さんを苦しめたのは、今までのようにのどが使えなくなり、声がかすれてしまった事。いつかは演歌歌手としての仕事ができなくなると、あきらめかけたそうです。

しかし、デビュー30周年となる年の2009年5月に、「体のことも含めて、悪いものはすべて吹っ切りたい」との思いから、実弟からの腎臓の提供を受けて生体腎臓移植手術に踏み切ります。

そして、この大手術は6時間に及びましたが、見事に成功を収めました。松原さんは約2週間で退院し、排尿も順調で、生活が一変したとのこと。

ちなみに、実の弟さんから、「腎臓をあげるよ」と腎臓の提供の申し出があったときは、松原さんは仰天したそうです。そして手術の話が進んでも、かなり悩んだそうです。体に影響は少ないとはいえ、臓器を一つ提供してもらうのは、やはり抵抗があったと思います。

その後松原のぶえさん、腎臓移植で元気になりましたが、生体移植のための拒否反応を起こす危険性があるので、免疫抑制薬物治療を行っているとのことです。


現在は松原のぶえさん、コンサート活動だけではなく、カラオケ教室も開催して演歌のすばらしさをみなさんに伝授するといったこともしています。これからも、元気で活躍してほしいですね!

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